こんにちは、せんこんさん。です。
先日私用で、関東に約1週間ほど滞在してきました。
その折にたまたま知った『小網神社(こあみじんじゃ)』というところに足を運んだのですが、なんでもこの神社、関東でも有名なパワースポットのひとつなのだそうです。本当に最近まで全然知りませんでしたけどw
折角ご縁があって訪れたので、今回はこの“小網神社”のことについて様々ご紹介したいと思います。
特に『強運厄除(厄除け)』『財運向上(金運アップ)』に興味のある方は必見です!
小網神社について/御由緒・所在地の紹介
東京都中央区・日本橋のビル群の陰にひっそりと佇む小さな神社 ──── “小網神社”。
神社創建の正確な年代は明らかになっていませんが、元々は武蔵国豊島郡入江にて、観世音と弁財天を祀った“萬福庵”という庵(いおり/簡素な住居・僧房)が小網神社のルーツであると言われています。
文正元年(西暦1466年)に萬福庵の周辺で悪疫が流行した際、網師翁(あじのおきな)という人物がこの庵を訪れ、数日間をそこで過ごしました。
やがて庵の主人の夢に恵心僧都(えしんそうず)と呼ばれる偉いお坊様[故人]が現れ「網師の翁を稲荷大神として崇めれば悪疫は消滅する」と告げました。
庵の主人が起きるとそこには翁の姿はありませんでしたが、庵の主人が村人たちに夢の話を告げ、この地に稲荷大神を崇める社殿を建立し日夜祈願を行ったところ、まもなく悪疫がなくなったという御由緒があります。
そして後に領主・太田道灌(おおたどうかん)がこの社殿を『小網山稲荷院萬福寿寺』と名付け、さらに慶長の時代(西暦1596~1615年)に周辺地域は『小網町』と名付けられました。
明治維新後の神仏分離令により社寺は分離され『小網稲荷神社』に改称、戦後は宗教法人化に伴い『小網神社』に改称され、現在に至ります。
また小網神社で祀られている神様は、前述の稲荷大神(倉稲魂神[うがのみたまのかみ])のほか、弁財天(市杵島比賣神[いちきしまひめのかみ])、福禄寿などがおられ、かつての御由緒からも強運厄除・財運向上のご利益がある神社として崇敬されているとのことです。
《小網神社↓》
【基本情報】
住所/東京都中央区日本橋小網町16-23
営業時間(御守・授与品等の頒布)/9:00~17:00
HP/小網神社オフィシャルサイト | 強運厄除・東京銭洗い弁天
※営業時間が変更になる場合もございますので、事前に上記HPをご確認ください。
小網神社の人気の理由
“関東最強のパワースポット”と評される小網神社は平日にも多くの参拝客が訪れ、初詣などの有事には、なんと2時間弱の行列ができることもあるそうです。
ここまで人気がある理由は、神社自らが証明した強運・厄除けの歴史にあると言えるでしょう。
その有名なエピソードをご紹介します。
その1:関東大震災での加護
大正12年(西暦1923年)に発生した“関東大震災”。
東京都・神奈川県を中心に大きな被害をもたらしましたが、小網神社周辺も例に漏れず被災しました。
その際に小網神社の社殿は倒壊してしまうのですが、辛くも宮司は稲荷大神・弁財天などの御神体を持って、隅田川に架かる新大橋に避難することができました。
地震とそれに誘発された火災によって多くの家屋や橋が倒壊し犠牲者も出るなか、新大橋に避難した人々は小網神社の御神体をはじめ、水天宮・玄冶店橘神社の御神体に祈り続け、最終的に新大橋は地震から難を逃れることができました。
当時隅田川に架かる橋は新大橋のほかにもありましたが、無事だった橋は新大橋ただひとつだったとのことです。
後に新大橋は『人助け橋(お助け橋)』と呼ばれ、倒壊した小網神社の社殿は昭和4年(西暦1929年)に建て直されました。
新大橋が無事であった理由は、そこに集まった避難者を当時の警察官数人が巧みに誘導し、大きな混乱を生じさせなかったことも大きいですが、小網神社ほか複数の御神体による加護もあったのではないでしょうか。
その2:第二次世界大戦時の奇跡
第二次世界大戦時にも、小網神社の神通力が奇跡を起こします。
当時、徴兵のため戦地に赴くことになった氏子の兵士数名が、小網神社で行われた出征奉告祭に参列し御守りを受け戦場に赴いたのですが、なんとその兵士達全員が生還したというのです。
さらに昭和20年(西暦1945年)に行われた“東京大空襲”では、東京の下町が未曾有の被害に晒されたのですが、小網神社境内の建物はほぼ無傷で残りました。
そのため小網神社は、日本橋地区では唯一戦前から残る木造神社建築となったのです。
まさに奇跡と言っても過言ではないこれらの御由緒が、小網神社のご利益の信ぴょう性をさらに高めたのでしょう。
その3:著名人のお墨付き
時代をまたいで起きた奇跡のエピソードを聞いただけでも小網神社のパワーには驚きますが、その人気にさらに輪をかけたのは著名人による紹介・発信なのではないでしょうか。
代表的なところでは、占い師・ゲッターズ飯田氏(以下:飯田氏)が小網神社を各メディアで紹介したことが挙げられます。
飯田氏は自身の占いの的中率がとにかく高いことで有名で、その実績からテレビ・ラジオなどにも多数出演されています。
そんな飯田氏に「東京最強のパワースポット」「本物の神様がいる」とまで言わしめたのが、この小網神社なのです。
著名人の紹介って結構大きいですからね。
ましてや占いやスピリチュアル的なことを生業になさっている方からお墨付きがでれば、説得力も増すというものです。
私も今回行くきっかけになったのはまさに、飯田氏が発信していた情報を偶然見たのがきっかけでした。
小網神社境内の注目スポット
ここからは小網神社境内にある注目のスポットとオススメの授与品を各種紹介していきます。
お金を清めて金運アップ!『萬福舟乗弁財天(東京銭洗弁天)』
弁財天(べんざいてん)は先の福禄寿と並び七福神の一柱です。
小網神社に鎮座されている弁財天像は、舟に乗っている姿とかつての名前“小網山稲荷院萬福寿寺”に由来し、『萬福舟乗弁財天(まんぷくふなのりべんざいてん)』と呼ばれています。
そして注目すべきは、弁財天像の手前にある『銭洗いの井』です。
その名の通り、この井戸で銭(お金)を洗い財布に収めておくと財運を授かると言われており、現在では弁財天像も含めて『東京銭洗弁天』とも呼ばれるようになりました。
様々な“徳”を授ける七福神『小網福禄寿』
福禄寿(ふくろくじゅ)は日本七福神の一柱にも数えられる神様です。
その名前にはそれぞれ意味があり、
福:幸福/子孫繁栄
禄:財運向上
寿:健康長寿
をそれぞれ表し、小網神社の福禄寿は“福徳” “人徳” “財徳” などといった様々な“徳”を授けると言われています。
余談ですが、小網神社を含む日本橋周辺の7つの神社にはそれぞれ七福神が祀られているので、興味のある方はぜひ参拝してみてください。
他の神社の詳しい情報はこちらから。
強運厄除のシンボル『昇り龍・降り龍』
小網神社の社殿を見上げると、左右両側に二匹の龍を見ることができます。
これらはそれぞれ昇り龍・降り龍と呼ばれ、現社殿が造営された昭和4年(西暦1929年)に施された彫刻です。
昇り龍は参拝者の願いを神様に伝え、反対に降り龍は神様からの“徳”を参拝者に届けると言われており、強運厄除のシンボルとなっています。
とても立派で見事な彫刻なので、参拝した際にはぜひチェックしてみてください。
オススメの授与品紹介
繭に入った可愛いおみくじ『まゆ玉みくじ』
小網神社の大人気のおみくじです。
本物の繭(まゆ)の中に、紙のおみくじが入っています。
繭は1本の糸からできており「小網神社の神様と参拝者のご縁を1本の糸でつなぐ」という意味が込められています。
おみくじを抜いた後の繭は、持ち帰って御守りにすることもできます。
龍の刺繍が印象的『強運厄除龍守(大)』
小網神社の御守りは種類が豊富で、どれにしようか迷いましたが、私はやはり“強運厄除”の御守りが欲しかったのでこれをいただきました。
ウラ側の2匹の龍の刺繍がかっこよくて印象的です。
“強運厄除龍守”はサイズが3パターンあったのですが、「大は小をかねる」というとてもシンプルな理由で一番大きいサイズの物を選びましたw
カードサイズで持ち運びに便利『財運向上御守』
もう1つ、忘れてはならないご利益は“財運向上”です。
中でもオススメなのはこのカードサイズの御守り。
金属製でタテ約7.5cm×ヨコ4.5cmほどの大きさで、財布に入れて常に持ち運ぶことができる代物です。
ただ一点気になるのが、裏面に記載している英語表記…
おそらく外国人観光客に配慮したデザインなのでしょうが、個人的にはこれはなくてもよかったんじゃないかなーと思いました;
品切必至の限定品『下町のみみずく』
毎年11月に『どぶろく祭』というお祭りが開催されるのですが、この日からお正月までの期間限定で『下町のみみずく』という置物の授与があります。
これは秋の七草にも用いられる“すすき”で作られており、強運厄除、商売繁盛のご利益があると言われています。授与は有料。
例年授与期間の終了を待たずに全ての在庫がなくなり、時には祭当日の1時間弱でなくなることもあるようでした。
ただし独自の調査によれば、毎年正月用の分は確保されているようなので、確実に入手したいのであれば、どぶろく祭当日と元旦を狙って行かれるといいと思います。
まとめ:機会があれば行くべし!
今回は“小網神社”をご紹介しました。
まだ行ってきたばかりだからか、特に身の回りに変化が起きてはいませんが、これから運気が上昇するんですかね。楽しみです♪
「最近ツイてない…」
「なぜかお金が飛んでいく…」
このような方はぜひ小網神社に参拝し、ご利益を授かってみてはいかがでしょうか。